宮司よりひとこと

忘れてはならない偉人

  • 宮司 (中東 弘)
  • (宮司) 中東 弘

生駒山西方の河内の国は、太古神武天皇上陸の地であり、役行者ゆかりの地でもあります。中世は東高野街道の山麓を舞台に奮戦した楠木正行、近世は大和川の付け替えに終身尽力された中甚兵衛等、特筆すべき偉人が多数輩出し、安岡正篤大人もその一人です。日下小学校を明治43年に卒業し、四条畷中学、一高、東京帝大と常に首席で、神童と言われるほど知力体力徳力に優れていました。明治、大正、昭和を生き抜き、生涯名利を求めず、栄達を離れて東洋思想、漢学、陽明学の実践に終始し、偉大な業績を残されました。その一つが終戦の詔勅で、「堪え難きを絶え、忍び難きを偲び、〈以って万世のために太平を開かんと欲す〉」の、〈〉部を安岡大人が加筆し、「平成」と言う年号も大人の考案と言われています。

大人の過ごされた家は、今も生駒山麓の善根寺町に残されています。東京大学を卒業後、若年で金鶏学園を起こし、多くの人々に徳育教育を施しました。戦前は孫文や蒋介石も大人に深く師事し、終戦後は吉田首相をはじめ歴代首相の指南的立場にあり、政財界に大きな影響を与えました。先の大戦では、無条件降伏をした日本に対して、北海道、東北はソ連が、関東、中部は米国が、近畿、四国は中国が、山陽、山陰、九州は英国が分割統治することがほぼ決まっていました。蒋介石総統は、師と仰いでいた安岡大人に御恩を返すために、一切の賠償金と進駐権の放棄、中国大陸百万人の日本への無事送還を声明され、そのお蔭で、他国からの統治を免れたと言われています。全国に組織されている「師友会」や「木鶏クラブ」は安岡大人の威徳を受け継ごうとするもので、今もなお大きな影響を与えており、国家国民が忘れてはならない偉人なのです。

【更新日】平成31年2月28日

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