境内案内

境内のご案内

二の鳥居 神津嶽本宮 摂社 末社 枚岡梅林 遙拝所 御本殿 御神木 鶏鳴殿 拝殿 出雲井 授与所 参集所 手水所 斎館 末社一言主神社 末社飛来天神社 一の鳥居

摂社 若宮神社 末社一言主神社 出雲井 末社飛来天神社 遙拝所 末社天神地祇社 枚岡梅林 神津嶽本宮

ページの先頭へ

画像をクリックすると拡大表示されます。

二ノ鳥居

画像:二ノ鳥居

現在の鳥居は昭和54年竣工。明治19年、昭和9年に改築を経て現在に至っております。鳥居の額面は、大正4年に奉納されたもので、この年には伏見宮女王殿下御参拝、又大嘗祭奉告祭に勅使がつかわされ祭礼がおこなわれました。現在の鳥居は平成令和の大造営(平成30年9月竣工)で新たに甦りました。

ページの先頭へ

斎館

画像:斎館

昭和10年竣工の建物。それまでも建物は存在しましたが、昭和12年貞明皇太后行啓をお迎えするにあたり建替えられました。

ページの先頭へ

拝殿

画像:拝殿

明治12年に新築されました。平成の修造で檜皮葺きから、銅板葺きに葺き替えられました。正面に掲げられた神額は、三條實美公揮毫であります。

ページの先頭へ

中門・透き塀

画像:中門・透き塀

明治12年に改築、明治38年に現在の場所に移設され、昭和26年、平成3年、平成令和の大造営(令和2年9月竣工)に修復され現在に至っています。

ページの先頭へ

授与所

画像:授与所

昭和10年に新築されました。元々この場所には奏楽舎がありました。現在は、御札御守り等の授与所になっています。石垣の上に建てられており、裏にはお滝があって古くより禊場となっています。

ページの先頭へ

御本殿

画像:御本殿

現在の御本殿は、文政9年(1826)に、近郡の氏子の奉納により造営されました。それより以前、『御神徳記』によりますと、天喜4年(1056)と宝治元年(1247)に焼亡し、其の都度造営され、文明9年(1477)にも近郡の氏子により造営されたと記されています。また、天正7年(1579)年9月、織田信長の兵火により類焼をうけ、本殿以下諸建物が焼失しましたが、慶長7年(1602)豊臣秀頼公が社殿の造営をし立派に復旧しました。その後、徳川の時代にはいり、当社に対する崇敬は薄れて衰退を余儀なくされましたが文政9年に造営がなされ、その後屋根の葺き替えや塗替え修理がおこなわれ、最近では平成令和の大造営(令和2年9月竣工)で新しく生まれ変わりました。

建築様式は、枚岡造(王子造)と呼ばれ四殿並列極彩色の美しい神社建築です。(市指定文化財)

ページの先頭へ

摂社 若宮神社

画像:若宮神社

ご本社の御子神様をお祀りしており水神ともいわれています。
社の後方にはご神水が湧き出る「出雲井」があり、参道からご神水をお受けいただけます。

ページの先頭へ

出雲井

画像:出雲井

摂社若宮社奥にある井戸です。

画像:出雲井

画像:出雲井

ページの先頭へ

末社 一言主神社

画像:一言主神社

一言願えばその願いを叶えてくれると言われています。
一言願札に願いをお込めください。

ページの先頭へ

末社 飛来天神社

画像:飛来天神社

天地万物創造の神様をお祀りしており、大自然に感謝の誠を捧げれば幸せが訪れるといわれています。

ページの先頭へ

末社 天神地祇社(まっしゃ:てんしんちぎしゃ)

画像:末社 天神地祇社(まっしゃ:てんしんちぎしゃ)

明治初年まで境内にお祀りされていた十九社の末社や、氏子地域内で祀られていた神社が合祀されています。

ページの先頭へ

遥拝所

画像:遥拝所

榊の木を通して、宮中の皇霊殿(春分・秋分の皇霊祭)・伊勢神宮(神嘗祭)

橿原神宮(紀元祭)を遥拝する他、神津嶽を遥拝する所です。

ページの先頭へ

御神木

画像:御神木

柏槙(びゃくしん)と呼ばれるイブキ科の樹木。社伝によりますと、白雉元年(650)に、神津嶽から現社地に神様をお遷しされました時、神津嶽には神武天皇お手植えの柏槙の大木があり、あまりにも大木すぎて移せない為、枝を切って挿し木したものと伝えられています。昭和13年大阪府の天然記念物に指定されていましたが、昭和の第二室戸大風で損傷著しく、やむなく昭和40年代地上3メートルを残し伐採され、切株を保存するため覆い屋根が施されました。胸高幹周囲6.5m、高さ25mありました。

ページの先頭へ

神遊館(参集所)

画像:神遊館(参集所)

各研修場や講話会場として使用しており、お茶会の場としても使用しています。建物は、平成令和の大造営で令和5年に現在の形に新築されました。

ページの先頭へ

鶏鳴殿

画像:鶏鳴殿

社務所として、また御祈祷の控室や結婚式の控室・会食会場、各種会議などの場として使われています。

ページの先頭へ

石鳥居

画像:石鳥居

皇紀2600年を記念して、昭和15年に新築されました。

ページの先頭へ

一之鳥居

画像:一之鳥居

二之鳥居より約800m西にある鳥居で、昔の東高野街道に面して建てられており、ここからが枚岡神社への参詣道となっています。東側正面に聖地神津嶽を仰ぎ望むことができます。

建立は古く、この鳥居に掛かる注連縄は、古くより地元鳥居町氏子の手により作られ、年末に掛け替えが行われています。平成7年阪神淡路大震災の影響で損傷がみられたため、平成10年に鳥居町をはじめ氏子の奉加により改修されました。

ページの先頭へ

神饌所(御釜殿)

画像:神饌所(御釜殿)

神饌を調理するところです。毎年1月15日の特殊神事「粥占神事」(かゆうら しんじ)もここで執り行います。現在の建物は、昭和3年に改築されたもので す。

ページの先頭へ

枚岡梅林

画像:枚岡梅林

いつの頃からか定かではありませんが、神仏混合の時代に、神護寺・元古庵 平岡寺・法連庵・来迎寺・真堂寺といった宮寺が存在しましたが、明治に入り 社寺改 革による神仏分離で廃寺となり、その跡地に梅樹を少しずつ植えたのが 枚岡梅林の始まりです。その後、氏子崇敬者の献木により規模が拡大し、維持運営を行う崇敬団 体が組織されるようになりました。明治14年「愛敬社」、 明治16年「換友社」、大正12年「神苑奨弘会」、昭和2年「神苑保勝会」と いった崇敬団体が、そ の役割を引継担ってきました。これらの組織は、梅林の維持運営以外にも、献茶式や芸能奉納、境内整備等神社に関わる全般にわたり協力し、枚岡大神の御神徳宣揚に ご尽力いただいた組織でありました。 お陰により、春を迎える2月中頃から3月中頃にかけて、紅白の花が咲き競い梅香を漂わします。6月初旬には、氏子青年会の協 力のもと、梅の実狩が催されるなど歴史ある大阪最古の梅林でした。
残念ながら梅輪紋ウイルス感染のため平成28年にすべて伐採されましたが、令和3年に季節ごとの花も植えられた四季の楽しめる新しい梅林へと復活を遂げました。

ページの先頭へ

神津嶽(元宮)

画像:神津嶽(元宮)

枚岡神社創祀の地です。ここ神津嶽に一大磐境を築き、天児屋根命・比売御神を祀って国の平定が祈られました。古くは柵が設けられ禁足地でありましたが昭和56年に石碑が建てられ、平成5年に石の社殿が築かれました。

神津嶽の周りには、たくさんの古代祭祀跡と考えられる場所が存在し、太古を偲ばせるとても神聖な場所です。大阪平野を始め、瀬戸内海、淡路島をも一望できるところでもあり、枚岡大神の広大無辺なる御稜威御神徳を感じることができます。

ページの先頭へ

手水所

画像:手水所

青銅製神鹿の手水所です。ここで手と口を清めます。その後、すぐ傍の御祓川(夏見川)に架かる行き合い橋を渡って身を清めます。橋の手前両側には、石製の神鹿が、左側にはヤマモモの木があり参詣者を迎えています。モモには邪気を祓う力があるといいつたえられ、記紀の神話にも記されています。

鹿は神の使いであり、神聖さが穢されないよう見張っているかのようです。

ページの先頭へ

駅前階段注連柱

画像:駅前階段注連柱

枚岡駅を出ますと、東側がすぐ参道となっており、階段を登りますとまず注連縄が掛けられています。両側の石柱には、枚岡神社の御神徳をあらわす「神事宗源」「天孫輔弼」の文字がみられます。大正11年に奉納されました。

ページの先頭へ

巽参道

画像:巽参道

拝殿前参拝所を右奥方向にすすみます。南北に御本殿前斎庭と梅林を結ぶ参道が巽参道です。この参道を境にして、東側は「宝基の森」と古くより称えられる神のいます森があり、ここは人が神と出会い、心をうつし祈りを捧げる神聖な場所です。

ページの先頭へ

照沢池

画像:照沢池

「てるさわのいけ」と呼ばれる神池です。ご本殿周辺また若宮社周辺には神の森から絶えず命の水が湧き出ています。特にご本殿周辺は、日中、池の水面が鏡のごとくお日様の光を反射させ、本殿・中門・透塀・森の木々にまできらきらと輝き照らす様子は、まさに「照沢池」と呼ばれるにふさわしい神聖な池であると納得させられます。

ページの先頭へ

禊場

画像:禊場

自然水の豊富さがうかがえます。神のいます森から湧き出る神聖な水で心身を清め、元気を甦らせていただくお滝場です。
原則禊研修を受けた方がお使いいただけます。ご使用の際は社務所で受付を済ませてからご使用ください。(受付時間 9時~16時まで)

ページの先頭へ