宮司よりひとこと

これまでの宮司よりひとこと

蘇った鳥居と斎館【更新日】平成29年10月30日

神社にはさまざまな建造物があります。神霊を祀る本殿、拝礼するための拝殿や神饌所、授与所、社務所、手水舎、灯篭、狛犬、鳥居、摂社、末社等があり、神社の規模によっては、幣殿や参集殿、儀式殿や斎館等々の建物があります。枚岡神社では長い歳月を重ねて、諸建造物の老朽化が進み、過年(平成25年)、「平成の大造営」と銘打って奉賛会を結成しました。ご本殿をはじめ諸施設の修復、鎮守の杜の育成、境内の整備事業を目的としています。奉賛会結成後、氏子や崇敬者から真心こもるご浄財が寄せられ、そのお陰で昨年、収蔵庫が完成しました。今年は枚岡の神様がお祀りされて2680年という目出度い年を迎えたので、これを記念して今春、二の鳥居の新築と、斎館の修復並びに増築工事に着手しました。近鉄線の枚岡駅を出ると、すぐ境内があり、その正面に二の鳥居が建っています。昭和9年と54年に建て替えられ、38年経過して根腐れが激しくなり、又々建て替えを余儀なくされ、この度完成いたしました。尾鷲の檜で、柱の直径は75㎝、総高は7,4mです。

一方斎館は昭和12年に、貞明皇太后さまがご親拝の折に、御休息された建物で、80年が経過して損傷が著しく、大がかりな修復工事を行い、かつての立派な佇まいに蘇りました。去る9月に両建造物の竣工清祓式を斎行し、氏子らが新築された木の香も芳しい鳥居の通り初めをしました。思えば長い年月その時代々々に遭遇した神職が、修復や造営を重ねて、その神社の歴史や伝統を支えてきました。今回これら一連の事業に従事出来たことは、感慨も一入で、幸せを感じているところです。来年は愈々ご本殿の修復工事が始まります。

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柏槙が取り持つご縁【更新日】平成29年10月6日

枚岡神社の神前には幹回り6,5mの柏槙(びゃくしん)があります。カンヤマトイワレビコノミコト(後の神武天皇)が日本の平国(建国)を祈念して、枚岡山の山頂、神津嶽に天児屋根命をお祀りした際に、柏槙をお手植えされました。白雉元年(650)に麓に御殿を建てた際、この柏槙の枝を神前に挿し木した、と伝えられています。かつてこの柏槙は樹高が20余mあり、当社の歴史を物語るご神木として、氏子の人々から信仰され、親しまれてきました。昭和13年には大阪府の天然記念物に指定されましたが、昭和36年の第2室戸台風の被害にあって、今は地上3mの幹しか残っていない状態で、真に残念な限りです。

佐賀市諸富町の新北神社に、徐福がお手植えされたといわれる、樹齢2200年の立派なご神木の柏槙があります。徐福は中国の『史記』によると、「秦の始皇帝から不老不死の仙薬を持ち帰るよう命じられ、童男童女三千 五穀の種 百工(技術者)を連れ、蓬莱の国を目指した」とあります。蓬莱の国とは日本のこと。佐賀県の有明海にやって来て、水稲をはじめ弥生の新しい文化を広められました。今から2200年前の話です。40余年前に吉野ケ里遺跡が発掘され、膨大な弥生遺跡が見つかりました。これが徐福の年代と合致し、彼が残した文化だろう、と話題になりました。

徐福伝説は全国20余箇所にあり、徐福が日本の文化に大きく貢献されたことが伺われます。この徐福お手植えの柏槙を、実生から大事に育てた苗を、枚岡神社に献木、という話が持ち上がっています。神武東征と建国。水稲をはじめ弥生の文化を広めた徐福。柏槙の奉納を通じて古代のロマンが大きく膨らんでいます。

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神津嶽の登拝【更新日】平成29年8月31日

カンヤマトイワレビコノミコト(後の神武天皇)が建国を願って、天の岩戸を開いた天児屋根命を、生駒山の神津嶽(320M)にお祀りされて、今年は2680年を迎えます。ミコトは生駒の暗がり峠を越えて大和に入ろうとしましたが、ナガスネヒコの抵抗に遭い、迂回して熊野から吉野、宇陀を経て橿原で建国して、今年は2677年。その3年前に枚岡の神様がお祀りされているのです。現在の地にご本殿が創建されたのが、白雉元年⁽650⁾9月16日と伝えられており、神津嶽の本宮神社は、この9月16日が例祭日です。この日神職、巫女が総代等と山頂に上るのですが、枚岡神社の大元を振り返る絶好の機会ともなっています。

9月以外は毎月16日に、宮司が登拝しています。朝5時過ぎに出発するのですが、九十九折れの山道は、ゆっくり歩いても約30分で山頂に到着します。枚岡の大元の地で祝詞を奏上した後、心行くまで瞑想し、神様に感謝し、神様と対話するのが、至福のひと時ともなっています。春は鶯の声を聞き、夏は山頂で涼を楽しみ、秋は紅葉を愛で、冬は厳しい寒さを耐えた後の充足感を味わう等々、四季折々に満足しています。これもまだ足が丈夫だから出来るのです。因みに先般105歳で逝去された日野原重明さんは長年、階段を2段ずつ上がる努力を重ねて健康を維持され、世の中のために貢献されました。2段ずつ上がると、腿の筋肉が鍛えられて健康になるようです。足が丈夫だと健康で満ち足りた生活が出来るので、「満足」という言葉が出来たのでしょう。日常境内の坂道や石段を上り、毎月山に登ることによって、自然と足が鍛えられていることを思うと、日々感謝しかありなせん。

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鹿と自然の営み【更新日】平成29年8月1日

鹿は大人しい動物ですが、時として野生を発揮します。毎年春になると雄鹿は柔らかい袋角が伸びて、秋には立派な角に成長します。この時期は雄の発情期で、雌の獲得に向けて縄張り争いが起こります。体重が120キロもある雄同士の激しい戦いに巻き込まれたら、人間はひとたまりもありません。強い雄鹿は雌鹿を100頭以上も抱えています。これによって、より強い子孫が生れる自然界の仕組みなのです。雄鹿による事故多発を見かねて、寛文年間に鹿の角切りが行われるようになりました。秋になると伸びきった角は固まって、神経も血管も止まり、切っても痛くない10月に角切りが行われます。

毎年300頭近くが切られて、鹿園から外へ出されます。一年でもう一つ危険な季節は、雌鹿の出産期である5月、6月です。毎年200頭余のバンビーが生れます。この時に子鹿に何気なく近づくと、雌鹿は母性本能が強いために襲ってきます。前足の一撃は強烈で、とても危険です。これらの注意さえしておれば、奈良公園は鹿と人間が共存している、真に長閑な「世界の楽園」でもあるのです。

この豊かな自然が維持されて行くには、それなりの自然の仕組みがあるのです。鹿が常食としている芝生は「生産者」でもあります。それを食む鹿は「消費者」と言えます。消費者の出した糞はフンコロガシというコガネムシが食べて、より小さな糞となり、それを微生物<バクテリア>が分解して土の肥料となり、それによって芝生が元気に生育するのです。この生産と消費と分解があって自然界はうまく循環しており、その目に見えない微生物のお陰によって、私たちは生かされているのです。

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春日の神鹿【更新日】平成29年7月6日

春日大社の境内は御蓋山(みかさやま)を含めて30万坪。その一角に「飛火野(とびひの)」という芝生の丘陵があります。万葉の昔、乙女たちが若菜を摘み、官人たちが打毬を楽しんだ所で、烽火(のろし)を上げて合図をしていたところから、この名がついています。この辺りで芝生を食んでいる群れ鹿の光景は実に長閑で、万葉の昔を偲ばせてくれます。

奈良の鹿は神鹿と呼ばれて、大切にされてきました。奈良に都が出来た時に、都の守護神として、春日大社が創建され、藤原氏が深く信仰していた常陸の国の鹿島神宮から、武瓶槌神(たけみかづちのかみ)をお迎えしました。この神様が鹿に乗って来られたところから、春日の神の使いとして、長い間崇められてきたのです。因みに春日大社の神様はこの外に、香取神宮の経津主神と枚岡神社の天児屋根命、比売神の四柱です。

戦中戦後の食料難には、密猟が頻繁に行われ、79頭にまで激減しました。この危機を乗り越えるために国に申請して、天然記念物の指定を受けました。これを機に年々増加の一途をたどり、1400頭を超えて久しい年月が過ぎています。鹿が過剰となると、餌を求めて春日山原生林にまで進入するようになりました。冬になれば鹿の餌である芝生が枯れるので、鹿たちは立ち上がって木の葉を食べます。それで奈良公園の森の木立は、地上から180㎝は枝葉がなく、見通しの良い特殊な林相になっているのです。明治以前まで狼がいて、過度な増殖が抑えられていたのですが、それもいなくなり、加えて観光客から貰う鹿せんべいのお陰で栄養が行きわたり、数が増えて自然のバランスが崩れつつあるのです。

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遠方からやって来た巫女さん【更新日】平成29年6月1日

緋の袴をつけた巫女(みこ)は未婚の女性で、神楽や結婚式の奉仕等、神職の補助的な仕事をしています。現在は美しい舞をご覧いただいて、神様のおもてなしをしているのですが、太古は神様と交信をする重要な役目をしていました。鈴や榊を持って踊るうちに神憑りして、神の声を政治に取り入れていたのが、祭政一致の時代です。今も沖縄をはじめ各地で、神様と交信するシャーマン的な女性がいますが、太古はそれが当たり前だったのです。

戦後の高学歴化に伴い、中学から高校卒の巫女が増え、そして今では大学卒が通常となりました。大学出はしっかりしているのですが、働く年数が短くなってきます。ところがこのたび高卒の巫女がわが社に来ることになりました。当社の巫女研修を初級、中級、上級と受ける中で、すっかり気に入り、是非とも奉仕したい、神道を通じて自分の内なる魂を磨きたい、勉強したい、という気持ちが高まって、遥々と鹿児島からやって来たのです。

神様に対する最高のおもてなしが、神社の祭りです。美味しいご馳走を供え、感謝の美しい祝詞を奏上し、美しい舞をご覧いただくことが、おもてなしに繋がります。このおもてなしの心と、凛とした姿を身につけるには、まず心を磨き、舞の習得のほかに、立ち居振る舞い、歩き方、背筋を伸ばした所作、時処以に応じた拝礼の角度や緩急、間合い、節度、注目等々を稽古しなくてはなりません。月日を重ねて行くうちに所作が美しくなり、また目に見えない心を体に表現することが出来るのです。彼女に対する期待が大きければ大きいほど、先輩たちの指導も厳しくなり、本人の並々ならぬ努力が必要となるのです。

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小太鼓祭【更新日】平成29年5月8日

5月5日の「こども日」に、枚岡神社では小太鼓祭りがとり行われます。この日境内に、氏子の子供たちと父兄が押し寄せ、子供たちが小ぶりの太鼓台を喜々として担いで、そのパワーが全開します。

太鼓台の本番は毎年10月14,15の両日、秋郷祭と銘打って斎行されます。氏子中より23台の太鼓台が宮入りし、氏子の参詣者で境内は立錐の余地がありません。氏子たちが氏神様のお膝元で、喜びを爆発させる、一年で最大の祭りなのです。この日子供たちは、太鼓台の中で太鼓を叩いたり、太鼓台について歩きます。女の子も男の子と同じように鉢巻をし、ハッピをつけて実に勇ましい姿をしています。この祭礼を迎えるにあたって、ひと月前から氏子の町々に、子供たちが稽古する太鼓の音が鳴り響きます。祭りを行うには金銭や労力面等、町中の協力なしには出来ません。太鼓台を通じて町全体が協調し、大人と青年団と子供たちの絆が深くなり、非行も少なくなっています。

「こどもの日」には、大人や青年団が子供たちを見守り、一所懸命手助けをしている光景は、無縁社会と言われる現代では珍しく、そのような町の仕組みの中で子供たちが育っています。この小太鼓祭りを経験しながら、本格的な大人の太鼓台へと繋がって行くのです。大人から若衆へ、若衆から子供たちへ伝統が力強く受け継がれて行く、そんな「こどもの日」でもあるのです。また太鼓台に彫られている神話の彫刻から、学校では学ばない古い歴史や伝統を知り、祭りを通じて礼儀作法や地域の絆を深め、かけがえのない学びの場ともなっているのです。

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礼に始まり礼で終わる日本の文化【更新日】平成29年3月31日

宮中の祭祀は「四方拝」が最初で、年間六十余を数えます。天皇陛下はたえず国民の平安をお祈りされているのですが、この祈りが一番大切なお務めなのです。それ故に国民はこれに応えて、感謝の礼儀として、「君が代は 千代に八代に さざれ石の 巌となりて苔のむすまで」と、国歌「君が代」を歌っているのです。わが国は長らく国歌「君が代」と、国旗「日章旗」が慣習として使われてきましたが、平成11年に法制化されました。

昨年末にサッカーの決勝戦が、有名なKとUの間で行われ、国歌が流れました。なんと驚いたことに、両チームの全員が足を広げ、両手を後ろに組み、口をつぐんで誰一人歌っていないのです。これを見た外国人は、礼儀の無い日本人の姿を、軽蔑の眼差しで見ていたことでしょう。困難を乗り越え、道を極めた人たちは謙虚で、自ずと礼が備わり、美しく輝いています。技だけではなく、そこに心と礼儀が備わってこそ、真の美しさが現れるのです。相撲が美しく見えるのは、格闘技ではなく、随所々々に美しい礼儀作法があり、神事だからです。

心と礼儀の伴わないものは。日本の文化には合わないのです。これが私たちの祖先が長年作りあげてきた日本の文化です。稽古事やスポーツはみな礼儀を共に習います。素晴らしい技を極めた人たちに、礼儀が欠けていたのは残念でなりません。その点オリンピックで優勝したフギィアスケートの羽生結弦選手は、若いのに直立して「君が代」を歌っていました。見ていて美しく、多くの国民が感動しました。心技礼が一体となり、礼に始まり礼に終わる姿が復活すれば、日本がまた世界から称賛されることでしょう。

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ご皇室と枚岡神社【更新日】平成29年3月2日

枚岡神社では毎年、年頭に宮中へ参内し、ご祈祷の神札(おふだ)をお納めしています。当社のご祭神・天児屋根命(あめのこやねのみこと)は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が岩屋にお隠れになられた時に、祭祀を行い、美しい祝詞を奏上したところから、「神事宗源(しんじそうげん)」、即ち祭祀を始めた大元の神と、『日本書紀』に書かれています。また天孫迩迩芸命(ににぎのみこと)の降臨に際して、「よく守護せよ」と、天照大神から命ぜられたことから、皇室を守護する神として、絶えず宮城のお側にお祀りされ、「天孫輔弼(てんそんほひつ)」の神と称えられてまいりました。

このような由緒からわが社では、歳旦祭に皇室の弥栄と、国民の平安をお祈りし、その祈りが籠められた神札を、年頭にお納めしているのです。宮中とわが社との深い関わりを理解してもらうために、毎年総代と参内し、宮中三殿にも特別に拝礼させていただいております。

三殿の中央は天照大御神を祀る「賢所(かしこどころ」。その左隣は、歴代の天皇をはじめ皇族のご先祖をお祀りする『皇霊殿(こうれいでん)」。右隣は、天神地祇、即ち八百万神をお祀りした「神殿(しんでん)」が鎮座しています。その前には御神楽(みかぐら)を奉納する神楽舎があり、三殿の西隣には「神嘉殿(しんかでん)」があって、天皇陛下が新穀を神々と共食される建物でもあります。毎年元旦の午前5時過ぎに、天皇陛下はこの建物のお庭に下りられ、四方に向かって、国民の幸せと世界の平和をお祈りされています。宮中の年頭に斎行されるこの「四方拝」が、太古から連綿ととり行われているのです。

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寒中の稽古事【更新日】平成29年2月3日

空手道場の一行が、寒中稽古に来られました。その数120名で、小学校年少の男女が多く、しかもみんな素足です。突きと蹴りを各千回、号令に合わせて腹から元気よく声を出し、きびきびと手足を動かしている姿は、凛として美しく、感動を覚えました。

戦後わが国は豊かになり、便利な物がなんでも手に入るようになりました。生活様式は洋風化し、正座をする機会も少なくなるにつれて、軟体動物的な青少年が増えています。楽な生活を享受するうちに、だんだん足腰が弱くなってきているのです。日本人から、凛とした美しい姿が消えつつあることは、残念でなりません。元来わが国は太古から坐礼の生活をしてきました。子供の時から正座をし、背筋を伸ばして食事を摂り、日常の生活で、立ったり座ったり起居進退を繰り返していくうちに、自然と足腰が鍛えられたのです。それによって所作が美しく見えるので、「躾(しつけ)」という言葉が生まれました。今更便利を放棄出来ませんが、蓄積された日本の美しい文化を見直す時が来ているのです。

神楽や雅楽、能狂言、文楽や歌舞伎といった日本の伝統文化は、外国人から称賛され、燦然と輝やいています。和食も見直されて、ユネスコ無形文化遺産に登録されました。世界から日本の文化が注目されるようになると、日本人が自国の文化に目覚めるようになります。このようなことを思いながら少年少女の空手の稽古を見て、未来に一条の光を見る思いがしました。真の武士(もののふ)は、強さと優しさと礼儀作法を兼ね備えていたからこそ、世界から評価されたのです。そのような日本人が増えて行くことを願うばかりです。

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枚岡神社ご鎮座2680年と神々の話【更新日】平成29年1月5日

カンヤマトイワレビコが九州から東征し、生駒の暗峠から大和へ入ろうとしましたが、ナガスネヒコにより困難を極めました。そこで建国の願いを込め、生駒の枚岡山に枚岡の神様がお祀りされたのです。今年ご鎮座2680年の佳節の年を迎えましたので、神社では9月に、正面の二の鳥居を新調し、奉祝大祭を賑々しく斎行する段取りを進めています。

ところでイワレビコと神々との関係を大雑把に説明すると、まず神話の冒頭に、宇宙の根元神であるアメノミナカヌシをはじめ造化三神が登場します。続いて物の兆しの神々が、次ぎに人格神であるイザナギ、イザナミが生まれました。両神は親神様から、「混沌とした地上を修理固成(つくりかためなせ)」と命ぜられて国を生み、神々を生んで行きます。火の神を生んで亡くなったイザナミを訪ねて黄泉の国に行ったイザナギは、心身ともにケガレたので禊をしました。左目を洗うとアマテラスが、右目からツクヨミが、鼻からスサノオという三貴神が誕生したのです。スサノオは高天の原に行き、乱暴狼藉をしたために追放されましたが、出雲の国では八岐大蛇を退治して、人々から称えられました。その六代後にオオクニヌシが現れ、国土を経営していたところ、天つ神のお声があって、国土を譲られました。

そこでアマテラスオオミカミは孫の二二ギに稲穂を授けて、地上を統治するよう命じます。二二ギは地上に降臨して、コノハナサクヤヒメと和合してホオリ(山幸彦)が生まれ、海のトヨタマヒメと和合してウガヤフキアエズが生まれ、タマヨリヒメと和合して生まれたのがイワレビコで、後にわが国を建国して初代神武天皇となられたのです。

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