宮司よりひとこと

これまでの宮司よりひとこと

礼に始まり礼で終わる日本の文化【更新日】平成29年3月31日

宮中の祭祀は「四方拝」が最初で、年間六十余を数えます。天皇陛下はたえず国民の平安をお祈りされているのですが、この祈りが一番大切なお務めなのです。それ故に国民はこれに応えて、感謝の礼儀として、「君が代は 千代に八代に さざれ石の 巌となりて苔のむすまで」と、国歌「君が代」を歌っているのです。わが国は長らく国歌「君が代」と、国旗「日章旗」が慣習として使われてきましたが、平成11年に法制化されました。

昨年末にサッカーの決勝戦が、有名なKとUの間で行われ、国歌が流れました。なんと驚いたことに、両チームの全員が足を広げ、両手を後ろに組み、口をつぐんで誰一人歌っていないのです。これを見た外国人は、礼儀の無い日本人の姿を、軽蔑の眼差しで見ていたことでしょう。困難を乗り越え、道を極めた人たちは謙虚で、自ずと礼が備わり、美しく輝いています。技だけではなく、そこに心と礼儀が備わってこそ、真の美しさが現れるのです。相撲が美しく見えるのは、格闘技ではなく、随所々々に美しい礼儀作法があり、神事だからです。

心と礼儀の伴わないものは。日本の文化には合わないのです。これが私たちの祖先が長年作りあげてきた日本の文化です。稽古事やスポーツはみな礼儀を共に習います。素晴らしい技を極めた人たちに、礼儀が欠けていたのは残念でなりません。その点オリンピックで優勝したフギィアスケートの羽生結弦選手は、若いのに直立して「君が代」を歌っていました。見ていて美しく、多くの国民が感動しました。心技礼が一体となり、礼に始まり礼に終わる姿が復活すれば、日本がまた世界から称賛されることでしょう。

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ご皇室と枚岡神社【更新日】平成29年3月2日

枚岡神社では毎年、年頭に宮中へ参内し、ご祈祷の神札(おふだ)をお納めしています。当社のご祭神・天児屋根命(あめのこやねのみこと)は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が岩屋にお隠れになられた時に、祭祀を行い、美しい祝詞を奏上したところから、「神事宗源(しんじそうげん)」、即ち祭祀を始めた大元の神と、『日本書紀』に書かれています。また天孫迩迩芸命(ににぎのみこと)の降臨に際して、「よく守護せよ」と、天照大神から命ぜられたことから、皇室を守護する神として、絶えず宮城のお側にお祀りされ、「天孫輔弼(てんそんほひつ)」の神と称えられてまいりました。

このような由緒からわが社では、歳旦祭に皇室の弥栄と、国民の平安をお祈りし、その祈りが籠められた神札を、年頭にお納めしているのです。宮中とわが社との深い関わりを理解してもらうために、毎年総代と参内し、宮中三殿にも特別に拝礼させていただいております。

三殿の中央は天照大御神を祀る「賢所(かしこどころ」。その左隣は、歴代の天皇をはじめ皇族のご先祖をお祀りする『皇霊殿(こうれいでん)」。右隣は、天神地祇、即ち八百万神をお祀りした「神殿(しんでん)」が鎮座しています。その前には御神楽(みかぐら)を奉納する神楽舎があり、三殿の西隣には「神嘉殿(しんかでん)」があって、天皇陛下が新穀を神々と共食される建物でもあります。毎年元旦の午前5時過ぎに、天皇陛下はこの建物のお庭に下りられ、四方に向かって、国民の幸せと世界の平和をお祈りされています。宮中の年頭に斎行されるこの「四方拝」が、太古から連綿ととり行われているのです。

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寒中の稽古事【更新日】平成29年2月3日

空手道場の一行が、寒中稽古に来られました。その数120名で、小学校年少の男女が多く、しかもみんな素足です。突きと蹴りを各千回、号令に合わせて腹から元気よく声を出し、きびきびと手足を動かしている姿は、凛として美しく、感動を覚えました。

戦後わが国は豊かになり、便利な物がなんでも手に入るようになりました。生活様式は洋風化し、正座をする機会も少なくなるにつれて、軟体動物的な青少年が増えています。楽な生活を享受するうちに、だんだん足腰が弱くなってきているのです。日本人から、凛とした美しい姿が消えつつあることは、残念でなりません。元来わが国は太古から坐礼の生活をしてきました。子供の時から正座をし、背筋を伸ばして食事を摂り、日常の生活で、立ったり座ったり起居進退を繰り返していくうちに、自然と足腰が鍛えられたのです。それによって所作が美しく見えるので、「躾(しつけ)」という言葉が生まれました。今更便利を放棄出来ませんが、蓄積された日本の美しい文化を見直す時が来ているのです。

神楽や雅楽、能狂言、文楽や歌舞伎といった日本の伝統文化は、外国人から称賛され、燦然と輝やいています。和食も見直されて、ユネスコ無形文化遺産に登録されました。世界から日本の文化が注目されるようになると、日本人が自国の文化に目覚めるようになります。このようなことを思いながら少年少女の空手の稽古を見て、未来に一条の光を見る思いがしました。真の武士(もののふ)は、強さと優しさと礼儀作法を兼ね備えていたからこそ、世界から評価されたのです。そのような日本人が増えて行くことを願うばかりです。

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枚岡神社ご鎮座2680年と神々の話【更新日】平成29年1月5日

カンヤマトイワレビコが九州から東征し、生駒の暗峠から大和へ入ろうとしましたが、ナガスネヒコにより困難を極めました。そこで建国の願いを込め、生駒の枚岡山に枚岡の神様がお祀りされたのです。今年ご鎮座2680年の佳節の年を迎えましたので、神社では9月に、正面の二の鳥居を新調し、奉祝大祭を賑々しく斎行する段取りを進めています。

ところでイワレビコと神々との関係を大雑把に説明すると、まず神話の冒頭に、宇宙の根元神であるアメノミナカヌシをはじめ造化三神が登場します。続いて物の兆しの神々が、次ぎに人格神であるイザナギ、イザナミが生まれました。両神は親神様から、「混沌とした地上を修理固成(つくりかためなせ)」と命ぜられて国を生み、神々を生んで行きます。火の神を生んで亡くなったイザナミを訪ねて黄泉の国に行ったイザナギは、心身ともにケガレたので禊をしました。左目を洗うとアマテラスが、右目からツクヨミが、鼻からスサノオという三貴神が誕生したのです。スサノオは高天の原に行き、乱暴狼藉をしたために追放されましたが、出雲の国では八岐大蛇を退治して、人々から称えられました。その六代後にオオクニヌシが現れ、国土を経営していたところ、天つ神のお声があって、国土を譲られました。

そこでアマテラスオオミカミは孫の二二ギに稲穂を授けて、地上を統治するよう命じます。二二ギは地上に降臨して、コノハナサクヤヒメと和合してホオリ(山幸彦)が生まれ、海のトヨタマヒメと和合してウガヤフキアエズが生まれ、タマヨリヒメと和合して生まれたのがイワレビコで、後にわが国を建国して初代神武天皇となられたのです。

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