アマゾンの首長に学ぶ【更新日】平成24年12月3日
平成18年頃にアマゾンの首長を、春日山原始林へ案内したことがありました。巨木が点在する鬱蒼とした奥山を終日引率した後、懇親会を行いました。夕刻になると「眠たい」と仰った言葉が、今も印象に残っています。
アマゾンは地球上に大量の酸素を供給し、生物の宝庫とも言われています。ところが日本の商社によって、森林破壊が急速に進み、年間四国と同じ面積が消失しているとのこと。この地を訪ねた南という女性が、この実情を知って広く訴えるために、毎年首長を日本に招いているのです。広大なアマゾンにはたくさんの部落があるのですが、ここはいまだに貨幣経済が入っていないので、今も生活は太古のままだそうです。男性は早朝から狩りに行き、獲物を皆で分け与えるという連帯社会があります。朝日とともに起き、夕日と共に眠る、といった自然と順応した原始生活をいまだに続けており、人口的なエネルギーはほとんど使っていないのです。
人類の起源は600万年前ともいわれていますが、その大半は太陽の動きに連動し、自然と順応した生活をしてきたのです。そして長い年月の内に、体内時計が出来あがりました。夜遅くまでテレビを見たり、遊びにふけっているのは近年のこと。自然に反した生活を続けていると体のバランスを崩し、病気になってしまいます。
昔から「早寝早起き、よく噛んで腹八分目」という言葉があるように、早く寝て快い睡眠が疲れを快復し、元気を持続する秘訣なのです。
運動をして満足な人生を【更新日】平成24年10月31日
高い山に急に登ると高山病にかかることがあります。空気が少なくて酸欠状態で倒れてしまうのです。現代人は運動量が少ないために絶えず酸欠状態になっています。酸素が細胞の隅々まで十分に行き渡っていないと、エネルギーが生まれず、全身の活力が衰えて行きます。ですから運動をして細胞に酸素を送ってあげなくてはなりません。
今年101歳の日野原重明さんは、長年階段を2段ずつ上っておられました。2段ずつ上ると腿の筋肉が鍛えられ、その筋肉が全身に繋がっているために、体全体が元気になってゆくのです。足を鍛えると元気になり幸せになるので、「満足」という熟語ができたのでしょう。
体を動かすと酸素が肺に取り入れられ、血液を通じて心臓の圧縮によって全身に酸素が送られます。大動脈から毛細血管えと超スピードで供給され、不要となった二酸化炭素が静脈を通じて心臓にもどってきます。これによってまた新しい血液が送られるのです。末端の血液が戻って来るためには、手足の筋肉の収縮が必要なのです。静脈は動脈と違って中に弁がついていて、逆流しないようになっています。筋肉が弱ると悪い血が心臓まで戻りにくくなるので、病気となるのです。ですから絶えず筋肉を適度に鍛えなければなりません。貯金があっても病気になれば大事なお金が無くなってしまいます。それよりも日頃から適度の運動をして、筋肉を鍛える「貯筋」に精を出したほうが得策でしょう。
よく歩き、よく笑い、早寝、早起き、良く噛んで、腹8分目、そしていいイメージを描いて、感謝感謝の生活が健康に繋がるのです。一度しかない人生を、悔いのないように。
見えない空気にも感謝の心を【更新日】平成24年10月1日
創祀2675年の歴史がある枚岡神社は、生駒の西方海抜100Mの位置に鎮座しています。神奈備山に相応しく境内は木々に囲まれて、いつも清々しく、平成13年に「香り風景百選」に認定されました。境内に漂う神気と、木々が放出するフィトンチッド(森林の香り成分)の力もあって、気分は爽快となります。そんなところから「元気がさずかる太古の聖域」が当社のキャッチフレーズとなっています。地球上で最初の生命が誕生した所は海中であったがゆえに、生物は水と深く関わっています。
私たちは水が無ければ生きてはゆけませんが、それよりも大事なのが空気の力です。呼吸を数分以上止めると、脳細胞に障害が生じ、やがて死亡してしまいます。私たちの細胞は60兆個あります。1ミリの50分の1という超微細な細胞の中に核があり、この中に太古からの記憶を留めた遺伝子があります。核の中は酸素が入れば死滅し、核の外は酸素が無ければエネルギーが生まれない仕組みになっています。
これは地球が生まれた当初は酸素が無く、その後しだいに酸素が増えて、これに適応した生物に進化したことを物語っています。超微細な細胞の中は複雑怪奇で、無限に広がる宇宙のように、奥が果てしなく広がっているのです。
これらの細胞に一番大切なのが酸素で、これが隅々まで行きわたることによって、エネルギーが生み出され、元気になるのです。そんな命の酸素をタダで使って感謝のかけらもありません。目に見えないから忘れがちになっている空気に対しても、感謝する心を持ちたいものです。
限りある命の水【更新日】平成24年8月28日
私たちの体は地球と同じように、3分の2が水で出来ています。太古の昔海中で生まれた生命は進化し、やがてその一部が地上に上がって肺呼吸をするようになりました。でも海水と同じ成分を今も常に体の中に蓄えています。胎児が十月十日、母親のお腹の羊水の中で過ごしているのは、この進化の過程を再現しているのです。
地球上の水の97%は海水です。残りの3%の内、水蒸気や地下水、北極や南極の氷等を差し引けば、飲み水として利用しているのは、全体の1%未満に過ぎないのです。この貴重な水を確保するには森が必要で、木々が保水力の役目をし、やがて長い年月をかけて浄化された伏流水が徐々ににじみ出て、小川から大河となって私たちを生かしてくれるのです。砂漠も太古は森であったことが、砂に埋もっている樹木からわかります。気候の変化が大きな要因ですが、勝手気ままな乱伐によって、招いた所も少なくありません。
かって「水の結晶」で話題となりました江本勝さんは、同じ水を二つのボトルに分け、Aのボトルには「馬鹿やろう」、Bのボトルには「ありがとう」の言葉を投げかけ、一瞬凍らせてから顕微鏡で見ると、Aの水の結晶は汚く、Bの方は美しい、と発表して物議をかもしました。ウツや極度のストレスを感じればそれがもろに体に影響します。
見えない言葉や想念が体内の水の分子に影響を与えているのかもしれません。日頃当たり前に使っている水は、まだまだ不思議な存在であるのです。水は生命の源であり、全てが水によって生かされているのに、その水に感謝する心が、日本人は希薄になっているのが気がかりです。
21世紀は水で戦争が起こる【更新日】平成24年8月1日
21世紀は水が原因で戦争が起こると言われています。現に陸続きの大陸では、紛争の絶え間がありません。いかに命の水を平和的に共有出来るかが、今後の大きな課題となっているのです。
人類は進歩に進歩を重ねて、宇宙にまで行けるようになりました。遥か彼方から地球を見ると、水球のように神々しく見えます。この美しい小さな水球の中に、あらゆる生物が共生して、一つの生命体をなしている事がわかります。ところが地上に降りてくると、個々が他とかかわり無く生きているように錯覚してしまいます。
太古から神々の領域として畏敬されてきた山や森が、明治以降に外国から入ってきたゴルフによって、レジャー化し俗化してしまいました。上空から見るとゴルフ場がいかに多いことか。そして薬品が散布され水が汚染して、安心出来る水が少なくなってまいりました。かって日本の水は世界でも定評があったのですが、それも崩れてしまい、水の商売が盛んになっています。
今一度水について原点から見直して行かなければ、21世紀は危うくなってしまいます。先人たちが努力して築き上げてきた森のお蔭で、命の水や空気が得られるのですから、もっと自然に大して感謝し、慈しみの心を持たなければなりません。枚岡神社のご殿の周辺は、絶えずお水が湧き出て池となっています。そして余分な水が滝となり、川となって下の町々に流れて行きます。
生駒山の西側は急斜面で、川は滝のように流れ、この急流に動力源として水車を設け、物づくりの町として発展したのも水のお蔭なのです。
森と命の水【更新日】平成24年7月2日
生物にとって欠かせない水は、神聖で霊力があると信じられ、太古から禊が行われてきました。禊は水の霊力によって心身が生まれ変わり、健康で清浄な心を取り戻し、内なるみ魂を活性化させるための神事です。黄泉の国からもどったイザナギノミコトが、川で禊をした結果、アマテラスオオミカミさまがお生まれになった神話は、水の霊力を物語っています。
「産湯(うぶゆ)」という言葉は、この世に生まれたばかりの不安定な赤子の魂を、活性化させる禊の意味があり、人が亡くなる際の末期の水も、水の霊力による再生、を願う儀礼でした。このように水には不思議な力があることを、私たちの祖先は感性で捉えていたのです。
今から46億年前に地球が出来、8億年たって一つの生命体が生まれたと言われていますが、宇宙から彗星が生命体を運んできたというのも一つの仮説です。私たちの体にある遺伝子は、細胞が新しくなるたびにコピーされています。これが正しくコピーされるのに、水が大きな役割を果たしているといわれています。
このように生物にとって命ともいえる水の水源が山や森であって、その湧き出る所に神々を祀って、聖域として大切に守ってきたのが、先人の大いなる智慧なのです。そのお蔭で私たちが生かされているのですから、祖先に感謝し、自然に慈しみの心で接するのは当然なのです。その大切な命の水が、蛇口をひねると簡単に手に入るようになって、人々が感謝の心を失ってしまったことは、とても残念で、神さまご先祖さまに申し訳ないと思うのです。
食べ物に感謝を【更新日】平成24年6月1日
私たちの出した二酸化炭素は木々が吸ってくれ、そのかわり木々は不要な酸素を私たちに与えてくれているように、全ての命が繋がっています。そんなことを思うと、全てに感謝しなくてはバチが当たります。近年日本人の食に対するマナーの悪さは目に余るものがあります。世界中で餓えに苦しむ人の数が10億人を越える中で、食を貪り、平然と捨て、命のあった食物に感謝の心も抱かないでいいのでしょうか。
太陽の光、土や水の力、目に見えない空気、これらのどれ一つ欠けても命は生まれません。自然界は神秘な力に満ちあふれています。この神秘な自然の力と、土を耕す人々のご苦労によって出来た命ある食べ物に、感謝の手を合わせ敬謙な気持ちで食べるのが当然なのですが、そのような教育を家庭や学校でしている所は少ないというのが現状です。
「喰う」という言葉は動物が本能のままに食物を体に取り入れるだけで、そこには感謝の心はありません。ところが「食べる」という言葉は、食物はすべて神さまからの「賜り物」、という感謝の気持ちが含まれており、さらに丁寧な「いただきます」、になってまいります。食事に対して感謝のマナーの悪さは人格の低さにもつながります。家庭での躾(しつけ)は親の努力が必要です。
躾けられた子供はその文字のごとく心身が美しくなり、物と心の調和がとれた豊かな次元の高い人に育って行き、次代えと引き継がれていくのです。このような美しい日本の心と礼儀作法が日本の伝統の一つであり、世界から霊性高い民俗として称えられてきたのです。
体によい和食【更新日】平成24年5月7日
世界平和の志を抱いて渡米された久司道夫さんは、食に注目されました。平和に欠かせないのは安定した食料と穏やかな心身ですが、その心身は日々の食べ物によって影響します。そこでバランスのとれた日本食を推奨して、アメリカ人の食生活の改善と、健康に多大な貢献をされたところから、米国国立歴史博物館(スミソニアン)にその資料が置かれるようになりました。日本人で初めてといわれる快挙です。
そんなこともあって米国で日本食ブームが起こったのです。氏は歯にも注目しました。歯の半数は穀物を砕くのに適した臼歯、その半分が草をくいちぎる門歯、そのさらに半分が肉を食いちぎる犬歯です。人類は1万年も前から穀物を作り、食べてきました。それをうまく砕くために大半の歯が臼のようになっており、またこれらを発酵するために、長い腸があるのです。
歯の比率から考えると、人は穀物を多くとり、肉は少量というのが健康にいいと、長年にわたって広められました。とくに胚芽のついた生きたお米、すなわち玄米を食べること。そして体に良い発酵食品は、ヨーグルトよりも、日本古来から食べている植物性の味噌汁のほうが良いと。
私たちの60兆の細胞は常に再生され、数ヶ月経つと全てが新しくなるのですから、三度三度何を食べているかが、大切になってまいります。農薬や食品添加物、着色料、防腐剤等々、人々を惑わす危険な食べ物が巷に氾濫しているので、平素からよほど注意していないと、大変な目にあってしまいます。
お米と健康【更新日】平成24年4月9日
日本人の食生活は遠い昔から、大半は質素なものでした。ご飯に一品のお汁と一品のおかず、といった一汁一菜はまだしも、稗や粟で餓えをしのぐ人たちも多かったのです。一汁一菜でも生活できたのは、玄米を食べていたからです。元禄時代に世の中が豊かになると、庶民も白いご飯を食べるようになり、江戸の奇病が起こりました。数10万人が亡くなったのは、ビタミンが不足し、脚気が原因でした。
米偏に白いと書いて粕(かす)と読みます。粕だけでは栄養不足で副食をそれなりにとらなくてはなりません。私たちは絶えず他の生命を取り入れて自分の命としているのですから、副食をたくさんとる事によって、他の生命の犠牲が多くなってまいります。米偏に健康の康と書いて糠(ぬか)と読みます。すなわち糠のついている玄米を食べると、心身が健康になるのです。玄米は胚芽がついていて、米が生きています。
それと糠の中には、人間が生きてゆくために必要な栄養がたくさん含まれているのです。元気の「気」の元の字は、「氣」と書きます。米を食べたら元気になるのです。昔から「早寝早起き、腹八分目、よく噛んで」、とお年寄りがよく言っておりました。よく噛んでいると、お米本来のいい味が口に広がり、おかずが少なくても美味しくいただけるのです。それに良く噛んでいると唾液が出て長い腸内でよく発酵するし、抗癌にもなるし、脳が刺激されて認知症にもなりにくい等々、一石四鳥の効果があります。
日本食に欠かせない梅干は大事な腸内を整えてくれますし、味噌汁も漬物も納豆も世界に誇る体に良い発酵食品ですから、共に食べている日本人の食生活は真に勝れているのです。
神さまから戴いたお米【更新日】平成24年3月1日
遥か縄文後期から、祖先が苦労に苦労を重ねて作り上げてきたお米がおろそかになって久しい。米作りには水が欠かせませんが、その水を得るには水源地である森や山が豊かでなければなりません。長い年月先人たちが米作りに励んできたお蔭で、その水源地の森や山が守られてきたのです。また水田は保水力もあり、米作りによって地域の共同体が守られ、日本人の勤労精神が培われてきたことを思うと、米は日本の文化そのものなのです。
神話に、ニニギノミコトが天照大御神さまから稲穂を授かり、歴代の天皇さまに受け継がれて、豊葦原の瑞穂の国(日本)造りに励んできたことが記されています。今も歴代の天皇さまが自ら田植えをし、秋には刈り取りをして、天照大御神さまを祀る伊勢の神宮や宮中の賢所に初穂をお供えし、「今も戴いたお米でもって日本の国を治めております」、と奉告しているのが、神宮の大事な神嘗祭であり、宮中の新嘗祭なのです。
即ち神さまから戴いたお米でもって、日本人が生かされていることに、長い年月感謝をしてきたのが日本文化の根幹なのです。神社の祭礼には必ず神さまにお食事をお供えしますが、どこの神社も最初にお供えするのはお米、次にお米から作った神酒、次にお米から作ったお餅です。
神さまから戴いた貴重な食べ物として、大切にあつかっているのです。親から「一粒の米でも粗末にしたらバチがあたる」、と昔はよく言われましたが、そんな言葉も死後となってしまいました。将来自給自足を余儀なくされるようになった時、一番効率のいいお米が見直されてまいります。お米をおろそかにしていると、将来お米で泣くことになるでしょう。
稽古照今(けいこしょうこん)【更新日】平成24年2月6日
日本の習い事は古くからお稽古事と言っておりましたが、最近は稽古と言わないで練習という言葉を使う若者が増えてまいりました。なぜ稽古という言葉を使うかというと実は奈良時代に編纂された『古事記』の序文からきているのです。そこに「稽古照今」の文字があり、返り点を打って、いにしえを考えて今を照らす、即ち過去の古い智慧を勉強して、今に役立てる、という意味から使われてきたのです。
日本の習い事には花道、歌道、香道、茶道、武道というように、道という字がついておりますが、これは何の道かというと、神さまに近づく道なのです。習い事を通じて、奥深い真理を追求し、自己の奥に隠れている魂を磨いて、一歩でも神様の御心に近づくための道なのです。
したがってわが国の習い事は技もさることながら、内面を磨くことに重点がおかれているのです。外国では格闘技のように、力の強い者が優勝し、弓の競技では多くの的を射た者が一番となります。ところがわが国の相撲の横綱は強いだけではだめで、それに相応しい風格が無ければなりませんし、弓道においても10本的を射たものよりも、9本射た者が優勝することが、かってはあったのです。
それは技が1本劣っていますが、立ち居振る舞い礼儀作法等を総合して、人格の出来ている者が選ばれたのです。今年は神話の『古事記』が編纂されて1300年になります。これを通じてもう一度太古から伝承されてきたわが国の成り立ちや民族の精神性、歴史や文化を学ぶ必要性があるのです。
神話に見える植林活動【更新日】平成24年1月14日
新年おめでとうございます。皆様方には本年も良いお年でありますよう、お祈り申しあげます。
「もったいない」の言葉を世界に発信されたケニアのマータイさんが、昨年亡くなられました。彼女は砂漠化する国土を憂慮し、自分に出来ることからと、木を植えることを思いつき、賛同の輪が広がって、国土に緑の森が増えて行きました。そんな活動が評価されてノーベル平和賞を受けられました。文化の根底には神話があり、その神話を忘れた国は滅びると、アーノルドトウィンビーは言っておりますが、わが国の神話『古事記』が編纂されて今年は丁度1300年を迎えます。その神話の中にマータイさんのような話が既に記録されているのです。
スサノウノミコトがわが子のイタケルノミコトに木の種を授けます。戴いたイタケルノミコトは朝鮮の国に植えようとしたのですが、途中から引き返して筑紫の国(九州)から大八州(オオヤシマ・日本国中)に植えて回ったことから、有功(イサオシ)の神と称えられているのです。
太古の昔から先人たちがマータイさんのように、植林活動に力を尽くして表彰された人が居たお蔭で、豊かな自然と清らかな命の水が享受出来たのです。そんな有り難い環境を、今の人々が急速に破壊しています。マータイさんは「人々はもっと自然に感謝しなければならない」と仰っていました。自然の中に不可思議な力を感じて、これを「神」と称してたたえ、感謝してきた先人の心を、今思い起こさなければなりません。